
児島ジーンズ |
| 日本の景色はどこまで行っても変わらない。 どこへ行っても、目に入るのはどこまでも続く電信柱と全国同規格のガードレールと見慣れた町並み。これは本当のこと。たまに見慣れない風景がエッセンスとして効果的であっても、普段見慣れているものは必ず混じっていた。 だから時折頭にかすめるものとの戦いはいつもの日常のままで、東京で見かけるような風景でその度確認していた。 気分は変わらない。 属した都会から離れたことでそれらは癒されるのだろうか。 この、どこまで行っても開放されない中。 たとえ270kmで遠ざかっていたとしてもだ。 東京から新幹線で3時間。岡山で特急に乗り換えて30分。 都会と田舎を繰り返し、たどり着いた先は片田舎の景色。 人の気配がまばらで一瞬不安になった。 それ以前に散々目の当たりにしたオリジナリティの無い風景から、世界をこれから魅了するであろうものが生産されているという期待と現実は、東京〜岡山間の距離より遠く、結びつかなかった。 |
| 「国産ジーンズ発祥の地」として知られる倉敷市児島地区児島(こじま)は、岡山県倉敷市の南東部に位置する。 有名な倉敷に行くためには一度岡山まで戻らなくてはならなかった。 倉敷は古くは塩の生産地として栄えた。 元々繊維産業の盛んな地域で、その中でも特に児島地域は染色なども含めた加工場が多く、繊維分野ではトータルでものづくりができる非常に独自性の強い地域へと成長していったという。 その中において児島地区はデニムの聖地と呼ばれる国産ジーンズ発祥の地であり、全国の男子学生服の約70%が生産されていて、セーラー服や体操着なども生産されており、大小さまざまな学生服メーカーもそろう。 またBIGJOHNのような総合アパレルメーカーから事業所名を持たない縫製、染色等の小規模工場がいたるところに点在している。ちなみにBIGJOHNの前身は学生服メーカーであり、BOBSONとは元は兄弟会社であった。 児島の人口は7万人ちょっと。 事前のリサーチで分かったのはこのくらいであった。 ![]() |
| 十数年くらい前から、日本では大戦前後の501××やリーバイス66モデルと呼ばれる60年代末期から生産されたリーバイス501などがビンテージジーンズとして、破格の値段で市場に出回った。 そこに目をつけた大手国内ジーンズカンパニーは、穿き古したビンテージモデルとして、また復刻モデルとして数々のモデルを売り出したという背景がある。 当時のその完成度は万単位で量産という相反する中、新品のジーンズをビンテージたらしめることは難しかった。その理由は今回の児島にある工場、そのすべてがハンドメイドで一点一点生産している現状を目の当たりにして確信した事だ。クオリティ的に無理だったのである。 ストーンウォッシュという技法を生み出したのは、ここ児島である。 現在、県外の多くの大手ジーンズブランドが児島の工場で製品を生産しているという。 ヒゲや解れや数々の加工を施した、それら新品のジーンズは、元は児島が生み出したアイデアの先にあった。 長期間はきこまないと出ない、ジーンズの深い味わい。 古着のビンテージでなく、これが手に入るとしたらどうだろう? ジーンズのムーブメントは繰り返す。 ちなみに、今NYではプレーンなジーンズが主流。恐らく数年内にこれから紹介する、『ニュー・ビンテージ』が席巻するのは間違いないと、断言する。 その頃には、日本ではとれかけ、剥がれがけのペンキ加工がブレイクしているかもしれないが。 |
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presented by Japan-Fashion.com 2008
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